ある陰キャの頭のなか

文字にしてみた!

絵に関する覚え書き

 

【勘違いしていたこと】

 

「絵とは、努力や勉強からかけ離れた特殊なコンテンツだ」

 

→ そんなことは無く、勉強して身に付くもの。

確固たる勉強方法や正解が決まっていないのでそう思ってしまう。

「個性」もその人が積み重ねてきたものの集大成だともいえて、生れ落ちてから元々持っているものではない。

 

 

「ひたすら何も見ずに絵を描き続ければ上手くなっていく」

 

→ 食べず飲まずに運動しろ、みたいな根性論。

下手なことを繰り返して自分で改善点を見つけられればいいが、そもそも他のものを見ていないとそれも分からない。遠回りになりがち。

オナニーを繰り返していることが多くなる。

 

 

「結局は自己満足なので、上手いかどうかも自分で決めることだ」

 

→ 仕事じゃなかったら間違いではない。

しかし、人間の認識は他人との共有でより強くなるもの。

「上手く出来た」と思いたくて描いているのであれば、より強くそう思いやすい方法を目標にするほうが理に適っている。

他人の価値観に合わせることも、自分の価値観の為になる。

 

 

 

【絵の理屈と目標まで】

 

インプット、アウトプットの話。(ググれば出てくる)

 

「絵を描く」という行為は描くものを見て、頭で形作って、それを描き出すということ。

実際には有り得ないものも、実際に見たものを頭の中で混ぜて出来ている。

 

イラストを頭の中で形作ること、描き出すことは、自分の頭の中は自分にしかわからない上に正解が決まっていないので、ミスも間違いだと言わなければ間違いじゃない。

(リアルな絵が描きたいなら間違いは間違い)

なんならそのミスすらも絵の魅力になってしまう。

他人との価値観を合わせる上では大事になってくる。

 

描くものを見ることは鍛えないとどうにもならない。

頑張るところはこれ。何ならそれ自体が上手いかどうかが描くことの価値そのものなのかな、と思ってしまう。

可愛いレイヤーさんを描こうと思っても、霧がかかってたり眩暈がしたら可愛く描けないし、可愛くかけてもそのレイヤーさんの可愛さとは違う。

 

 

【結局なにすればいいか】

 

「デッサン・模写」

分けているが、どっちも手本を真似するということ。

ものを覚えても、本当に覚えているかどうかは行動してみないと分からない。

これはそれをすごい小刻みに繰り返す作業。

この次の段階に「こういうの好きなんだよね」とか「こういうの良いと思わない?」があるのである。

 

 

 まあ分かってても僕は意思ふにゃふにゃでなかなか出来ないんだけどね・・・

 

おわり