「死にたい」ガイド
「死にたい」とは
「死にたい」は以下のうちの1つ、または複数の要因に分けられる。
・虚無感
(生きる実感がない、何をしても無意味に思える)
・無力感
(自分は劣っている、愛されたくても出来ない)
・挫折感
(失敗して取り返しが付かない、挽回出来ない)
そして脳がこの要因を払拭しようと計算するも、
→ 打開策がない
→ 望む結果に至るよりも過程の方が辛い
という結論に至り、「死にたい」となる。
人が生物として存在している以上、本質的な「死」を望むことは本能的に有り得ない。
「死にたい」の「死」は
・マイナスの状態の脱却
・あらゆることから縛られない自由への興味や憧れ
(↑この記事はこれについて考えません)
どちらかを意味している。
要はより良く生きたいが為に「死にたい」のである。
ちなみに筆者は
生きようとすることが盲目的に正しいとは考えていない。
しかしながら死ぬ行動に移せない程度の「死にたい」にあたる状態の場合、本能と噛み合わずに苦しむこととなる為、ポジティブな方向に行動した方が効率的だと考えている。
具体的な対処方法
人間は自覚していない原因を別の記憶に結びつけ、理屈に合わない発想をする場合がある。
(認知の歪み)
まずは冷静に判断出来る状態・体調に出来るだけ近付けることが望ましい。
「何も考えず、寝る・食べる・血の巡りを良くすることを徹底する」
この状態で希死念慮が大きい場合は次に
「虚無感・無力感・挫折感のいずれに値するか」
を考える。
虚無感の場合
「何かしらの目標を定め、それに向けて行動をする」
自分の納得のいく行動が出来れば良いが、そうでない場合が多い。
以下その場合の発想の一例
→ 人間の個性・思考は環境によって定まるもの
→ どの程度行動できるかはその個人の思考で決まるが、思考自体は環境によるもの
→ 故に行動に移せない、思うようにいかないのは個人の責任だけではない
→ 思いつく、出来るベストをやり続けるしか人は出来ない
→ 今している行動をやめ、別の行動を試し、やり続けられる方法を探す
目標が定められない、見つからないこともある。
以下その場合の発想の一例
→ 人間は根本的に生き物なので、生存する以上に生きる意味はない
→ 人類・社会に貢献するかにおいても、大多数がその行為を認識できない=貢献度を確かめられない=意味があるかわからない ことがある
→ 自分のためでも他者のためでも結局判断するのは自分自身である
(感謝の言葉も建前・哀れみ・ありがた迷惑止めの場合があり、相手の真の思考を即時に読み取ることは現代技術では困難)
→ 故に本当に正しいかどうかは自分自身の中にしか存在しない
→ 理屈を考え過ぎず、思いついたことをやり続けるしか出来ない
→ 他人の真似や目に付いたことをやってみる≒目標設定
無力感の場合
「比べるのをやめ、自分の状況のみに視点を置いて行動する」
比べること=正しいことと思い込んでしまい、困難な場合がある。
以下その場合の発想の一例
→ 比べることは自分の位置、レベルを知るのに欠かせないことである
→ しかしながらモチベーションにマイナスに働いてしまうことがある
→ 行動に繋がらない思考、その場合の比べることは間違いである
→ 自分の能力をある意味諦め、行動し続ける
またはやりやすい別の目標を探す、娯楽に走る ←逆に近道の場合もある
出来る気がせず、行動できない場合がある。
①失敗を恐れている
→ 挫折感の場合へ
②行動が面倒、億劫
→ 人間は現在の環境を維持しようとする本能がある
→ その発想は自然なので根本的に悪いことではない
→ 行動までに至れないということは現状に満足している
→ 対処法は行動する・受け入れる・自殺するのみ
挫折感の場合
「失敗を自分のための経験だと考える」
または
「自分の個性だと捉える」
失敗の許容を怠けや根性なしだと考え、出来ない場合がある。
虚無感・無力感と同じ発想の一例がある。
→ 人間の個性・思考は環境によって定まるもの
→ どの程度行動できるかはその個人の思考で決まるが、思考自体は環境によるもの
→ 故に行動に移せない、思うようにいかないのは個人の責任だけではない
→ 思いつく、出来るベストをやり続けるしか人は出来ない
→ 自分を戒めることは成長に欠かせないことである
→ しかしながらモチベーションにマイナスに働いてしまうことがあり、その場合は戒めることは間違いである
→ 自分の能力をある意味諦め、行動に繋がりやすく捉える
それでも希死念慮が大きい場合
「愚かだと思う人や行動を認識し、マウントを取る」
一時的には効果的だが、以下の問題点がある。
・罪悪感から挫折感に繋がりやすい
→ 幼少期の義務教育の影響からその可能性が高い
・反社会的、生き辛い社会の一部となる
→ 人間なので本能に嫉妬はあるものだが、互いに足を引っ張り合う社会を作っていくこととなる
「別の世界で本物の自分が自分を操っているのだと思い、世界をゲーム視する」
「すべて疲れやストレスが溜まっているせいだと自覚する・思い込む 」等
あらゆる物事に対応できる万能の方法だが、以下の問題点がある。
・論理的、現実的な発想をしないクセがつきやすい
→ 別の問題が発生しやすくなったり、対処に困りやすい
→ ある意味考えることを放棄する方法のため、脳が老化・劣化しやすい
麻薬の様な方法とも考えられる。
「自殺防止サービス・メンタルクリニック・心療内科等の機関を利用する」
最終手段の様に見えるが、あまり期待し過ぎてはいけない。
いくらプロともいえど、他人の垣根を越えることは出来ない。
彼らもどうあがいても金銭のやりとりや自分の為に行動をしているという因果から抜け出すことは出来ないからである。
しかしながら、人はある程度の理解者がいるだけでも冷静な判断ができる状態に戻れることがある。
まとめ
「死にたい」の根本は理想とのギャップなので、開き直りつつ出来ることをするのが一番の対処法。
たのしい人生。